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プロデューサーでディレクション・企画が仕事ですけれど、
 
仕事を一旦傍に置いて、
【実家仕舞い】
というルーツの整理に時間を割いて
さらにその延長の
有限会社CENTENARIOを整えるのに、
人生の大半のエネルギーを要していましたよぉ

 
それがようやく終わった!イマココ。消えていてすみません。個人のサイトなので、普通に記します。

 

本当は家族のことなどは傍に置いて、本業を貫けばよかったかとも思うけれど、性格ゆえ、回り道!
全ての流れを仕事のみで捉えず、人生、として捉えたら
これでよかったんだ!と言えるから不思議❤︎

 

それを、ちゃんと通って、リトライが最高、孤高に研究を重ねています!

過去の作品で、一番気に入っているアングル、もうないけれど
この色、この日差し、この雰囲気が、私から生まれる感性
普通、だけど、この頃のスタッフ、取引先、自分、平成の終わりの
静かないい日常が、あったのよね、記憶の中にしかもうないけれど❤︎
  • 日本舞踊
    • 世界的観光都市で、小さい時足が悪かったので、リハビリで日本舞踊を習うことになり、そのまま続けていたら、金谷ホテルに海外の要人がいらっしゃる際や、クリスマスのダンスパーティ、二荒山神社での祭事の際の奉納としての舞を担当しました
  • 研究
    • 朝顔、ひまわり、ヘチマ、ジャガイモの研究を、担任の先生の指導のもと、絵日記のように書き記し、当時親が手伝ったのではないかと言われていましたが、親にはそんなセンスはなく、鍵っ子ゆえの自力集中力で、お絵描きに勤しんでいました 文部大臣賞をもらって、表彰式に毎年上京するのが楽しみでした
  • 国宝
    • 国宝で働く父の上席のお坊さんに、日光の歴史をこみっちり絵日記にするご指導を頂いたので、これも研究しました。郷土史研究会を作って、大人の参加者の方に、僧侶に指導いただいたことをレクチャーする研究所の所長を語る子供でした
  • ホルン
    • 母が会計事務所に勤めていたので、その巡回先の会社のご家族に、栃木県交響楽団に在籍されていたホルンの先生がいて、ピアノの才能がなさすぎるため、ホルンを専攻して音大に進みました。高校から寮に入って、親元を離れました
  • 基地
    • 高校が入間だったので、福生も近くて、どちらもハウスがあって雰囲気アメリカだったので、国宝の社寺を見て育った和風の自分は、かなりカルチャーショックというか、故郷を離れて、隣の県に移動しただけなのに、留学気分でした
  • バイト
    • 福生でバイトしましたが、戦後の香り漂う雰囲気の、赤線地帯と高校生のバイトの仕分けを、ボスがかなり気をつけてくれていて、ここから先には行くな命令が厳しい大人の監視があり、みんなの福生と私の福生、が違いました ボスとは未だ仲良しなので不思議です
  • ヨーロッパ
    • 母のお友達のお嬢さんが、ウィーン国立音大でピアノを教えていらっしゃったので、連れて行ってもらいました これが初のヨーロッパ訪問、伊玖磨さんの姪っ子さんだったので、日光でもリサイタルをお願いしました
  • 金谷ホテル
    • 日光でリサイタル、と言えば私もホルン専攻だったので、金管五重奏の先輩と地元の皆さんに来ていただいて、リサイタルをしました
  • リクルート
    • 大学3年の時に学生社員の募集を新聞広告で見つけて、トライ。AB Roadに配属になり、じゃらん創刊スタッフとして、部門立ち上げを経験しました
  • 銀座のバイト
    • リクルートにいたので、その帰りに小さな会員制クラブのお片付けのお手伝い、というバイトをしていました 美人ではない色気のない子供だったので、憧れましたがその道には進めませんでした
  • ジャズボーカル
    • 金谷ホテルにたくさんレコードがあって、酒屋の配達を手伝っていたので、バーが始まる前に、レコードを聴いていました、真空管から出る音色が普通だと思っていました
  • 英語
    • GHQ管轄のいろんな世界が日光はまだ残っていて、当時の通訳だった方がそのままいらっしゃったりして、4歳くらいから英語を習いに行っていました、子音の発音ばかり練習していましたが、中学校で日本語英語を習ったら、できなくなっちゃいました、かなり混乱しました
  • 香港
    • AB ROADの時代に、新橋で広東語を習っていて、そのまま習っていたら、現地の方と会話できるのが楽しくて、香港に取材に行く機会が増え、気がついたら広東料理ブームが来て、大学の先輩の指南でテリー伊藤さんの中華料理店を青葉台に作るのをお手伝いしたり、相当香港の人と面白いことをやりました
  • 麻雀
    • 花杯を指で覚えて、横浜の中華街で勝負する日々が続きました。が、これじゃいけない、と思い、不動産会社に就職しました。ここからずっと働いて、55歳のリタイヤまで、仕事に勤しみました

 
 

仕事、本業のこと

デザイナーとしてインテリアコーディネートをしますが、大は小を兼ねるますので、不動産取引をお手伝いし、空間の設計をし、インテリアを購入し、すぐに入居できる状態にしてから再販しています。お待ちいただいて、いい物件が手に入った際に、ご要望を満たすサービスの提供をさせていただくことが主になって参りました。
 
個人的な話ですが、私は、幼いころから和のお作法などに触れていたので、和の空間を丁寧に作り上げるのも得意なんです。グローバルに世界あちこちのホテルの内装を担当しましたが、ちょうど、作り終わった感じなので、拠点を東京に戻して、今できることを丁寧に対応させていただいています。
 
運よくいいお仕事にかかわれているので、感謝して対応させていただいていますが、まぁ、いろんなことはありますね。体験こそ全て!という宇宙の法則故でしょうか。
 
エステ空間や鍼灸治療院、美容サロン、医療機関なども相当数 対応して来ましたが、時代に沿ったムーブメントがあるので、あまり固執せず流れに身を任せています。
 
茶室や寺院の修復、大正ロマンあふれる古い建物のリノベーションなどにもかなり参画しましたし、大手企業各社ともお仕事を業務提携させて頂き、上場企業の顧問なども務めさせていただき、表舞台から降りて、もう大分経ちますね。コロナで時間があっという間に過ぎた感じ、でしょうか。
 
運の良さ、は楽天的な性格にも起因している気がしますが、割と度胸よく潔く責任を取ってきたつもりです。断腸の思いも、しびれる経験もしましたが、登れない山は現れない、というスタンスで挑み、今日に至ります。

ジャーナリズム系
 
じゃらん創刊 編集 システム進行 
月刊不動産流通 連載 
不動産経済研究所 バリューアップ 連載
中古マンションかしこい購入&リフォーム術 著者
日本デザイン50 共著
浦安新聞 葛西新聞 市川新聞 行徳新聞 インテリア不動産記事連載
 
メディア掲載系
 
日本経済新聞 一面写真入り取材
月刊 室内 若手世代のリフォーム 会社設立時に取材
インテリアビジネス新聞 手がけた空間の取材
 TBSテレビ 私の何がいけないの 豪邸リフォーム担当出演
辰巳琢郎のリフォーム夢家族 新春スペシャル 茶室のあるマンション出演
 
会合系
 
東京デザイナーズウィーク プロ展10年連続参加
ミラノデザインウィーク 東京デザインプレミオのひとり
日本インテリアデザイナー協会 元関東副支部長
日本デザイン学会 学術会員
All About インテリア ガイド
HOMES PRESS 記者
各媒体不動産、インテリア関連 監修者
メジャーセブン各社 不動産記者懇親会
倫理法人会 ゲストトーク
上地不動産ソフィア会 オブザーバー ウェブ制作担当
 
仕事系
 
不動産 中古マンション仲介 売買 買取
リノベーション設計 提案 作図 現場管理
ホテルフルリノベーション 企画 プロデュース担当
銀座 ビルオーナーペントハウス リノベーション 
要人守秘義務があって記せません系 邸宅リノベーション
新築ホテル内テナント内装担当 監修 現場管理
リクルート時代からのジャーナリズム担当の辞め方がわからず継続したままプレス担当
子供の頃から研究所をしているので、そのまま現在も様々な研究リポートの依頼を丁寧に対応中
 
作品系
 
主要会館 リノベーション担当
当初新浦安を中心にのんびり個人邸や船舶の内装を地味に行なっていましたが、訳あって西麻布に移動、そこから飛行機に乗ることが増え、秘密を守ることも増え、丁寧にこなしていました。メーカーの偉い人や勘違いした下請けのスタッフさんに怒鳴られたりしながらも、全くもう!と交わしつつ・・・自分の立場をわきまえて采配を奮っていました。偉かったなぁもう本当に。
 
美容医療施設 新規オープニング店舗プロデュース
書くのに許可や権利や諸々の手続きが必要な案件の対応
自由に公開するリスクのある案件をずいぶん手がけました
 
講演系
著書出版直後は新聞社主催のメディア会議や、大型ホテルでのコンベンションの客人、かなりの規模の主賓で呼ばれて話したりが頻度高く、てんてこ舞いでした。
東京ビックサイトでの基調講演の画像などありますが、これまた掲載許可など、どうなんでしょう?版権とか、リンクを貼っても切れたりしますから、面倒になっていますが、本当か?と言われそうなので、本業がウェブ製作者ではありませんから、リアルな次の仕事、に追われて、何も纏めず来てしまいました。
小さい時から人前に出ていたので、緊張しないのと、話し方は徹底して訓練荒れたので、若い頃のナレーター経験は、無駄ではなかったのね、と不思議と色々つながる人生です。

着物を着た日のお鞄、どれにしようか迷うポイントに、その質感が適宜か?という ”決めどころ” を把握したうえで崩して楽しむことが、後輩への悪い影響にならないようにしなきゃ、という憂いもあって、なかなか実務的なバックを手に取る勇気がありませんでしたが・・・

すべての女性の願いを叶える、というより古風なことを愛でる人のために 

日本の良さって、もはや消えゆく霞のようになっている気がしますが、それでも、当時にしては珍しく3歳から日舞を習っていたことをきっかけに、和服を着ることに抵抗がない大人に育ったため、和の良さを懐かしんでみようと思い、独自のサイトを始めてみました、仕事のサイトだったのですが、会社にしたので、このサイトはこんなふうにアレンジしました。

和服でもこんな空間に普通にいられたらいいのに、と日々思って過ごしています、今の時代、何着ていても、良いじゃない?って思うしね!

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MEMORY OF CAFE

田舎にいた頃、街一番の喫茶店でアルバイトをしていました。日記帳があって、観光地だったので旅客がエッセイ風に自分の思いを綴っていく時代で、その日記の表紙の絵を描く担当をしていたんですけれど、幸せな時代でした。日本舞踊のお稽古場のすぐ近くで、たまたまいい喫茶店だったのも、幸せでした❤︎デザイン性って、ギフトだと思います。深く考えるのではなくひらめきで手掛ける。
そんなセンスを頂戴したことを、空間プロデュースという形で大人になってから生かしました。

任意売却、債務処理、買取、再販という不動産業務を手掛けています

たまたま最初にアルバイトした場所が、質権を設定する的な仕事をしている骨董品屋さんで、そのため、なぜか世の中には債権というものが存在することを知っていました。
 
印鑑証明や登記などについて、なんとなく意識をしていて、不動産会社に勤めた際に呑み込みが早かったせいか、任意売却の担当になりました。
 
競売の入札や落札してからのリフォームを手掛け、そこから買い取り再販の道に進みます。女子なので抵抗がなかったといえばウソですが、総合職で世の中の流れに沿って従事した感じです。
 
住宅ローンを組んだりする個人のお客様の担当より、性に合っていた気がして、割と大胆に分譲マンションの一室から戸建て、戸建てから一棟マンション、ビルへと対応が大きくなり、最後はホテルの再販を手掛けるまでになり、リノベーションの設計を通して様々なことを学びました。

企業の寮をサ高住に変えたり、RC一棟マンションを分譲に変えたり、ピカイチのデザイン力で大好評でした❤︎

不動産の取引は、緻密な確認作業の積み重ねです。間違った取引をする場合かなりのリスクを背負うので、慎重さが必要。
 
地味で藁の中の針を探すような作業の時もありますが、上手く成約すると喜びもひとしお。金額も大きいのでやりがいもあります。
 
私が得意なのは、イマイチおかしな間取りをパズルのように組み替えて使いやすく洒落たエレガントな空間に作り替えること。
相場とそう乖離することなく売却価格を設定しつつ、センスの良い内装がセレクトできること。
デザイン能力はギフテッドだと思っているので、感謝してサクサク働いています。
買取を希望する場合、あまり目立って動きたくない方も多く、来店の際も個室で丁寧にお話を拝聴させていただくようにしています。
デリケートな案件も多いので、守秘義務とコンプライアンスを順守して、適宜な対応を心がけています。